海さえあれば《第二話 海さえあれば》 「ちょっと聞いて。すごいことがあったんだから」 夫の話はいつもこの枕詞からはじまる。それに続いて聞かされたのが、以上のような経緯だった。 興奮を隠しきれない夫の話によれば、新しいショッピングセンターが近くに建設中。大学と付属病院もわりあい近くにあって、良いと評判の学校が目と鼻の先。そしてなにより「一番すごい」のは、目の前を遮るものがなにもなく、洋々と広がった海が真正面に見える、というのだった。 「もう、この海があるだけで、決めちゃったようなもんだよ」 「ここだ!ってね。頭にピンッってきたんだよ」 夫はとにかく上機嫌だった。 話を聞けば、確かに立地条件は悪くない。いや、申し分なかった。 しかし一方で、どんなマンションなのかが、私には非常に気にかかるところだった。 夫が決めてきた家は、共有の庭や専用駐車場、子供のための遊び場、バスケットボール・コートなどを備えた、トルコでスィテといわれるタイプの共同住宅で、敷地内に2棟を抱え、1階にはそれぞれ商店が入る、そんな建物の10階(日本式にいえば11階)で、ひとつの階には2家族が入れるようになっていた。 夫の持ち帰ったパンフレットには、白地に青と赤のアクセントカラーの入った、流行遅れのポストモダン、といった雰囲気の建築モデルの写真が掲載されていた。トルコの新しい共同住宅にありがちな、安普請のリゾートホテルのようでもあった。 夫にとっては、「海さえ見えれば、外観なんてどうでもいい」のだが、新規に購入、しかも一生住みつづける、終の棲家となるやもしれぬ家である。できれば高級感があって、オシャレな外観の家に住みたいと、女なら誰しも願うと思うのだが、どうだろうか。 とはいえ、決めてしまった後で、いまさらとやかく言っても仕方がない。建設会社のセンスや良識に期待するしかなかった。 「ところで、いつ出来上がるって?」 契約書の通りであれば、同年12月頃に完成する予定である。しかし、まだ壁すらはまっていない状態で、年内にすべての仕事が終了するとは、とても信じられなかった。 ツアーで回っていてさえ何度となく目に入った、建設途中のまま放りっぱなしになっているマンション。入居者が次々決まって、入金があれば建設が進むのだが、資金が尽きると何ヶ月でも、何年でも投げっぱなしになるという。あげくに、剥きだしの鉄骨や外階段、バルコンの手すりが錆付いてしまっている、そんなマンションの数々が脳裏に浮かんだ。 いずれにせよ、とうぶん引越しの予定もなし。私たち自身、まったく急いではいなかったのである。 まだ、その時点では― つづく 《第三話 子供のこと》 |